北大東島から北海道に戻るまでの話

今回、沖縄から戻る道中のことはブログにもSNSにも上げなかったのですが、現在は北海道に戻っています。

4月上旬。このまま戻っても営業の見通しも立たないし何が出来る?戻っても仕方ないのでは?と考えて、このまま島に残るかどうかかなり悩みました。
一度はひとまず5月末まで残ることを決心してJAの担当の携帯に電話したら、その時に限って上長が電話を取って
「毎日仕事はないしGWは職員もいなくなるしちょっとキビシイかもな~」
その後上長と直接会って話をしても以下同文だったので、残るのはヤメにして帰りの準備をしました。

島から出る前日。その担当からJAの仕事は毎日はないけど港の仕事とダブルワークで残れないか村役場と話を付けかけていたと聞きました。
あの電話を担当が取っていたらまだ島に残っていたかもしれませんが、その時に限って別の人が取ったのは何か運命的なモノを感じました。

那覇空港から戻る日。那覇から神戸に飛んで実家に1泊、翌日の新日本海フェリーで北海道に渡る予定でした。ただ、その日に限って那覇空港での不発弾発見の影響で乗る予定の便が欠航しました。
チケットがソラシドエア扱いだったのでANAへの振り替えは出来ず、その日のソラシドエアの神戸便の到着が夜遅くだったので結局翌日の便に振り替えて那覇にもう1泊することになりました。
変更の手続きをしつつ、これは実家に泊まって親とあんまり濃厚接触をするなということなんだろうな~と漠然と考えていました。

自分は運命論者ではないと思っていましたが、謎の流れに乗って北海道へ戻るように導かれているような気がしました。

北大東島→沖縄本島→兵庫県で車受取り→新日本海フェリーの道中、マスクの着用は当然として
・1日最低1回の検温
・出来るだけ3密の状況を避ける
・出来るだけ会う人を減らす
→沖縄本島ではいつもなら何人かでお疲れ様会とかするけど、今回は1人の友人と1回ご飯を食べただけです。
→実家には(結果的に)泊まらず置いてあった荷物を積んだあとは、夕食も両親と別の部屋で食べました。
・新日本海フェリーはステートAツイン(1等)を貸切
→ツーリストSは簡易仕切りはあるのですが、空いてることが予想されたとはいえ 他人と密閉空間に長時間いることになるので避けました。
フェリーの乗客は約30~40人くらいでした。
・毎日、立ち寄り先と大体の時刻を記録
など、自分なりに考えてこの時期の日本縦断をしました。

ひとまず5月6日頃までは、買い物・通院・どうしても外せない用事以外の外出は原則しないことと、1日最低1回の検温は続けていきます。

沖縄本島やフェリーなどの道中のブログ化は、ここにザックリ書いたことと時勢を考えてこのままお蔵入りになると思います。

沖縄のゲストハウスオーナーさんとも「空港や繁華街に人がいない・宿にも全く旅人さんが来ない状態は、何か白昼夢を見ているようであまり現実感がない」という話になりました。

当宿も稼ぎ時のGWにご予約をいただいた旅人さんに、疫病蔓延防止のためこちらから宿泊キャンセルのご連絡を入れる状況というのは余りに非現実的で、どこかでフワフワした夢を見ているような感覚があります。

収束後の世界はこれまでと価値観がガラリと変わるような予感もしますが、まあ何とかなるか俺のせいじゃないし、と開き直るしかないですね……