2014年5月11日。JR江差線末端区間の木古内から江差間が廃止されました。あれから3年、今はどうなっているかを訪ねてきました。今回はかなり長く鉄分も多めです。

北斗市から国道228号線を海沿いに進み、木古内町に入ると左にチューリップが咲いているのが見えます。
サラキ岬では、14日までチューリップフェアが開催されていて、ちょうど見頃を迎えていました。

さらに進むと、札苅の集落に入ります。札苅では芝桜を植えている家が多いのですが、その中でも大規模に植えられているのが、ここ村上芝桜園です。数年前までは知る人ぞ知るスポットだったのですが、今では木古内町の観光協会が看板を立てるくらいの観光地となっています。ここは個人宅の裏庭なので駐車場が少なく、少し離れた臨時駐車場に車を止めて見学します。

ここは道南いさりび鉄道の線路沿いにあるので、鉄道写真の撮影地として以前から撮り鉄の旅人さんにもこっそりおススメしていたのですが、今回は芝桜園のおじさんと話しているときにちょうど列車が通過していったので、列車と一緒の写真は撮れませんでした。

江差線跡探訪は木古内駅からスタート。3本あったホームも、今は道南いさりび鉄道が使う1本を除いて撤去されています。

無人駅になって様変わりした待合室の片隅には、ミニ江差線コーナーが。

木古内駅の構内を外れると、間もなく津軽海峡線と江差線の分岐点があります。

江差線があったところに新しい遮断機が設置されていました。

江差線が北海道新幹線と交差する場所にいると、どこからともなく猫がやってきました。

渡島鶴岡駅跡は、道南トロッコ鉄道の駅舎として活用されています。今回は行きませんでしたが、すぐ隣の旧鶴岡小学校の校舎が木古内町の郷土資料館となっていて、ここに江差線・津軽海峡線関係の資料が大量に展示されているので、開いていれば絶対に行ったほうがいいです。木古内町の郷土資料館は、昔の品々をただ展示しているだけの資料館とは一線を画しているので、江差線に興味が無くてもおススメですよ……

3年前は左の牧草地で旅人さんと大漁旗振ったんだよなぁ……

駅近くにある、境内を江差線が横切っていた禅燈寺は、特に変わっていないように見えます。

今も道南トロッコ鉄道の線路として使われているからか、微かな現役感もあります。

渡島鶴岡~吉堀間。
そのうち道路の拡幅工事に飲み込まれそうな予感。

吉堀駅跡。待合室・ホーム共に健在。右の木は吉堀駅開業記念として昭和10年に植えられたと、根元の小さな石碑に書かれていました。

峠を越えて神明駅跡へ。これまで峠越えは急坂急カーブの上、少し狭めな吉堀トンネルを抜けていたのですが、昨年秋に新吉堀トンネルが開通したことにより峠越えが楽になり、江差線代替バスの安全運行にもつながっています。

ここも待合室・ホームとも健在。

ただ現役時代と比べて……変わったようなあまり変わってないような……

湯ノ岱駅は現在も代替バスの待合室として使われています。

駅舎の駅員さんがいた場所は板張りがされていて、このツインクルのステッカーだけがJR時代の面影を残しています。

有名な撮影地だった天の川第1橋梁。踏切部分は完全に線路の跡がなくなり、レールも場所によっては取り外されているのですが、鉄橋はそのまま残っている場所が多いです。

現役時代はこんな感じ。

天の川駅モニュメントの跡。何にも残ってません。

モニュメントがあった頃。

宮越駅跡。跡形もありません。昨年はプレハブの現場事務所的なモノがあったのですが、それも今はありません。

桂岡駅への案内看板はまだ新しいのですが……

桂岡駅跡。ここは駅があった痕跡すら怪しくなっています。宮越駅跡はまだ線路跡にバラストがあったりして、線路があったことはわかるのですが、ここはそれすらもわからないレベルです。

ずっと並行していた道道から少し入った場所にある中須田駅跡。
待合室の状態はここが一番痛みが少ない感じがします。

中須田駅跡近くにあった菜の花畑。車から降りただけで香りがすごい!

駅跡巡りをちょっと中断して、上ノ国の道の駅でお昼。一番人気だというてっくい(ヒラメ)天丼を注文。タレと絡みあったヒラメの天ぷらが肉厚でウマい。

上ノ国駅跡。元々駅舎が上ノ国町商工会の間借りだったようなものなので建物自体は現役です。

なぜか片隅に芝桜が咲いていました。

そして終点の江差駅跡に来ましたが……

見事に何にもありません。跡地に住宅を建てるのと並行して、一応モニュメントも建てる予定はあるようですが……

江差の街中にある「旧檜山爾志郡役所」に来ました。
建物の前には、土方歳三が沈みゆく開陽丸を見てこの松の幹を叩いて嘆いたという「嘆きの松」があります。

ここに来たのは、北海道で唯一残存している郡役所の建物だったからでも……

当時の留置場が再現されていて、房に入って遊べるからでもなく……

江差町内で数少ない江差線関係の展示があるからで……

といっても、この2枚の写真でほぼ全てという……

一応終点なのに、江差町には江差線の資料は残っていないのか……多分展示していない資料がまだあると思うのですが、資料の収集に熱心だった木古内町に比べると、どうしても見劣りがしますね……