昨晩着いたときはもう暗くなっていたので、朝になって改めて外見などを見てまわります。
車両内部も自分が泊まった車両は基本どこでも入り放題でした。他の車両は施錠されていて入れませんでした。
ブルトレ仕様の簡易トイレをよく見ると…
ちょっとワロタ。
朝は霜が降りるくらい寒かったのですが、車内は家庭用エアコンを2基フル稼働させて快適に寝ることが出来ました。
岩泉からは旧岩泉線に沿って国道340号線を進みます。鉄橋は何ヶ所かで見えました。センターラインのない道と改良済の道が交互に現れる国道でしたが、並行路が発展途上でも鉄道が廃止されるのは、よっぽど利用がなかったのか。
岩手和井内駅は、岩泉レールバイクの駅として現役。江差線の旧渡島鶴岡駅を思い出します。
線路も光っていて若干の現役感があります。
岩泉レールバイクは隣の中里駅まで続いているので、こちらも現役感が残っていました。
宮古・釜石は昨年の大人の休日パスの旅で来たので、今回はスルーしました。
お昼は一気に大船渡まで来て、盛駅近くのハンバーガー屋さん「バーガーハーツ」へ。
とにかくパティの種類が多くて、メニューを見るだけで圧倒されます。
どれを選ぶのが正解なのか笑
メニューが多すぎて、正直この写真のハンバーガーが何バーガーだったのか思い出せません笑
チーズマッシュルームバーガーのランチセットだったかな?次来たときは、あれもこれも食べたいと思わせるお店でした。
ちょうど給油時だったので、東日本大震災で被災した看板を展示してるオカモトセルフ陸前高田SSへ。
震災時からは移転しているのですが、スタンド内には当時のジオラマなどを展示したミニ資料館があります。
旧気仙沼向洋高校、今は気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館になっている建物を見学。
映像シアターで当時の津波映像などを見た後に、校舎の内部見学をしました。
3階には津波で流されてきた車がそのまま展示されています。
4階には冷凍工場がぶつかった跡が。
校舎の間には津波で折り重なった車がそのまま残されています。
手前には漁船の一部もありました。
陸前高田の道の駅や奇跡の一本松、気仙沼のリアスアーク美術館など、このエリアに伝承施設は多いのですが、今回は過去の震災伝承施設の訪問で見ていなかった場所を巡るのがテーマなので行きませんでした。
海から3.7km離れた北上川沿いにあって、津波は来ないと思われていたので、川を遡ってきた津波によって多数の逃げ遅れた児童などが犠牲になった「震災遺構大川小学校」へ。
校内にある大川震災伝承館は休館日。何日かかけて南下していると、どこかで休館日にはあたってしまいます。
1・2年用の円形校舎は、教室間の仕切りがなくなっていました。
3~6年の校舎もがらんどうに。
渡り廊下がねじ切れています。
一部分だけ壊れているのが、余計に切ない卒業制作。
女川駅前の道の駅の前には、「震災遺構旧女川交番」がシンボル的に残されています。
震災前の女川町には運転手時代、水産加工品を積みに海沿いの加工場へよく来ていたものです。
あの工場で働いていた人たちはどうなったのかと考えたこともありました。
この日の宿は、石巻駅前の「旅館いしのまき」。
宿の夕食は同じ建屋にあるスナックの店内で取るシステム。
普通のおうちのごはん的なシンプルな夕食ですが、こういうのがいいのです。