旅館いしのまきを出て、裏山的場所にある「羽黒山鳥屋神社」へ向かいます。
ここでのお目当ては、ブルーインパルスの御朱印帳とお守り、ブルーインパルスの形をしたおみくじを買うこと!
御朱印帳の表紙がいいですね。
神社から海側に向かって「石巻市震災遺構門脇小学校」へ。
入ってすぐの屋内運動場には、牡鹿地区で被災した消防車と北上支所の公用車が展示されていました。
校長室。真中の金庫の中には卒業証書が無傷で残されていたので、そのまま卒業式で手渡されたそうです。
門脇小学校は津波による火災で被災したので、損壊の様子がこれまで見てきた小学校とは違います。
震災前は門脇地区は住宅密集地でしたが、跡地は巨大な公園になりました。
机椅子、黒板、靴箱などが、被災時そのままに展示されている部屋。
展示の最後は屋内運動場に戻って、仮設住宅の展示。仮設住宅の展示は他では見なかったかも。
仮設住宅内部。これだけ見ると住み心地は良さそうに見えますが、実際は壁の薄さや新しいコミュニティの部分などで、いろいろストレスがたまりそうな感じも想像できます。
校舎全景。正面玄関両側の木は、震災を生き延びた木だとのことです。
小学校の向かいにある「石巻南浜津波復興祈念公園」へ。門脇保育所の跡が土台だけ残っていました。
公園内の「みやぎ東日本大震災津波伝承館」。北側の一番高い屋根の部分は、ここに来た津波の高さ6.9mに合わせて設計されたと聞きました。
「東松島市震災復興伝承館」へ。
仙石線の旧野蒜駅がそのまま伝承館になっています。
ホームには入れませんが、すぐ近くで見ることが出来ます。
野蒜駅を含む陸前大塚駅から陸前小野駅間は、海の近くを走っていたことから津波の被害が大きく、線路が山側に付け替えられています。
この区間では運転士の独断で少し丘になっているところまで電車を動かして、全員助かったという話もありました。
その場所には今回は行けませんでしたが、旧線跡は今でもある程度たどれるようなので、いずれまた行きたいですね。
お昼はやっぱり牛タン。仙台港近くの「たんや善治郎」で「牛タン極太・ソーセージ定食」。美味しい笑
仙台市の沿岸部にある「震災遺構仙台市立荒浜小学校」へ。
1階の1.2年生の教室は、天井まで浸水して破壊されています。
津波は2階の床から40cmくらいまで到達したそうです。
今はまばらにしか見えませんが、震災前は松林だったはず。ここかはわかりませんが、この付近で松林を乗り越えてくる津波の映像を見た記憶があります。
仙台港からは宮城県道10号線を通ってここまで来ましたが、以前は地上と同じ高さを走っていましたが、今は防潮堤を兼ねた少し高い場所に付け替えられていました。
山元町の「震災遺構中浜小学校」へ。
校舎の2階の天井近くまで津波が到達しているので、
壁も床もあまり原型がありません。
周りに高い場所もなく、約90人が屋上の屋根裏倉庫に避難しました。
幸い、屋根裏までは津波が到達しなかったので、ここで一夜を過ごした人たちは全員無事救出されました。倉庫内部は、避難した当日のまま残されているので、ここだけは撮影禁止になっていました。
この小学校を建て替えるときに、校舎の敷地全体を2mかさ上げしていたため、屋根裏には届かなかった、かさ上げしていなかったら倉庫も津波の被害を受けていただろうと、ここのガイドさんから説明を受けました。
中浜小学校にはガイドさんが数人待機していて、皆さんから熱心にお話をしていただいたのが印象的でした。
ここまでずっと思っていたのですが、災害時生きるか死ぬかの境目はホントに紙一重、最後は自分の判断が頼り、そのためにも普段から災害時を想定した訓練というかシミュレーションの大事さを実感しました。
震災がれきの中から発見された日章旗を、復興のシンボルとして掲げている場所がある釣師浜へ来たのですが、時間外だったか何かの事情があるのかで掲げられていませんでした。
バイクの聖地でもあるらしいのでまた来たいですね。
この日のお宿「ビジネスホテル高見」へ。窓の位置が斬新。
部屋の配置もかなり独特ですね。
食事は、ホテル1階の食堂が普通の料金の定食屋さんだったのでこちらで「ささみカツ定食」。ささみカツって食堂のメニューではあまり見かけない気がしたのでちょっと嬉しい。