朝食も競輪場のレストランで。シェフに鯛のヅケをお茶漬けにするのがおススメと言われ、その通りにしたらすごく美味しかったです。
フレンチトーストも美味しそうだったのでつい。普段こんな量は食べないのに、朝食バイキングには魔物が住んでいますね。
始めは競輪場に泊まれるという物珍しさで予約したのですが、
普通にホテルとしても快適に過ごすことが出来ました。
前島に渡るために牛窓まで来ました。
軽自動車で往復1,400円。
乗って5分くらいで前島に到着。船着き場の事務所で御船印を購入しました。
島の住民の新聞は、各自が船着き場に取りに来るシステム。
そういえば、何でここには橋が架かってないのかな?
旧フェリー乗り場からだと、牛窓の街を走る車も見える距離なのに。
特に島の東側では、売り別荘地が目立ちました。
前島で唯一といってもいい観光地の「大坂城築城残石群」へ。
島内には4ヶ所の残石群があるそうですが、一般公開しているのはA群のみになっています。
入口にあったパンフレットを基に、刻印やノミの跡を探していました。
近くには展望台もありましたが、老朽化のため立ち入り禁止になっていました。
展望台に上がらなくても眺めはいいです。
トイレ・炊事場など最低限の設備はあるキャンプ場。島内に商店はないので、食料などは前もって用意しないとですね。
別荘の建設ラッシュ。
商店がないといっても、フェリーに乗れば5分くらいで牛窓の街があるし、意外と不便はないのかもしれません。
港に着いたらフェリーが出た直後で、少し待ちます。
フェリーは6時台から21時台まで1時間に1~2本あります。
北海道にいると、瀬戸内海によくある限りなく渡し船に近いフェリーに乗る機会はなかなかないので、新鮮でした。
牛窓名物水没ペンション村を見て、
岡山のローカルチェーン「ミスターバーク」邑久店でお昼。
ランチ安っ!
ちょっと悩んで、ハンバーグとステーキの両方を食べたくなったので、よくばりランチにしました。ライス・スープとドリンクバーおかわり放題も込みでこの値段は、控えめに言って神ですね。お昼前に行ったのですぐに座れましたが、出るころには少し待ってる人もいました。
多分流通倉庫をそのまま改造した「日本一のだがしや」へ。
以前、お昼のワイドショー的なテレビで見て以来、気になっていた場所にようやく来れました。中に入ると日本一と名乗るだけあってかなり広いです。この写真で売り場の3%くらいしか写ってないと思います。
他の人がカゴに満載のお菓子を入れているのを見て「いくらなんでも買いすぎ笑」と思っていたら、気付くと自分のカゴにもそれなりに入っていました。
実際、子供の頃に見た駄菓子が普通に売られているのを、それなりにお金を持っている大人が見て回るとこうなるよねという、大人が楽しめる駄菓子屋さんなのかもしれません。
ここからは同和鉱業片上鉄道の廃線跡をたどります。
始発の片上駅跡は、郵便局やショッピングセンターになっていました。
道路と並行していた廃線跡はサイクリングロードになっているところが多いです。
和気鵜飼谷交通公園には貨車が置かれていましたが、国鉄の貨車だったので、実際片上鉄道で使われていたかどうかは?
駅跡はサイクリングロードの休憩場所として整備されている場所が多かったのですが、美作飯岡駅跡はサイクリングロードからも外れていて、廃駅状態のまま放置されていました。
この緩いカーブがいいですね。
当時の終点の一つ手前の吉ヶ原駅は駅舎と、
構内がそのまま保存されています。
駅の隣の「柵原鉱山資料館」へ。
当時の街並みの再現コーナーは、ずっと見ていられますね。
もともと片上鉄道は、柵原鉱山で産出される硫化鉄を運ぶ目的で作られたので、展示も多めです。
鉱山系の資料館でよくある、エレベーターで地下の採掘場コーナーへ入る入口も、エイジングされていて、当時の雰囲気があります。
正直鉱山系の資料館の展示は、どこも割と似ているのですが、あると入ってしまいます。こういう過去の栄光的な廃なモノに惹かれる性質があるのかもしれません。
資料館は吉ヶ原駅構内とつながっていて、当時の貨車なども展示されています。
多分現役当時のままのベンチ。手直しがされていないのが逆にいいですね。
吉ヶ原駅と終点の柵原駅の間に造られた「黄福柵原駅」にも、片上鉄道の車両が保存されていました。こちらは3両のうち2両は再塗装されていました。
この日の宿に15時半頃着くと留守。チェックイン時間を見ると17時からになっていたので、近くの北庄棚田で一休み。やっぱりこういう場所は、稲がある時期に来たい。
この日は久米南町のとほ宿「旅のあしあと」に宿泊。
最初の部屋は少し寒いでしょうということで、エアコンのある部屋に変更していただきました。