洞爺丸台風から62年

1954(昭和29年)9月26日、台風15号「マリー」による強風と波浪のため、函館湾一帯で青函連絡船が5隻沈没して1430名の犠牲者を出す大惨事がありました。中でも一番犠牲者の多かった洞爺丸の名前をとってこの台風は「洞爺丸台風」とも呼ばれています。
洞爺丸が座礁・沈没した現場の近くに事故から約1年後の1955年8月、慰霊碑が建立されました。
七重浜の国道228号沿いのドンキホーテと七重浜の湯の間に位置する慰霊碑では、通るたびにいつも花が植えられキレイに整えられている様子を見ることが出来ます。
最近看板などの掲示が修繕されて、沈没した連絡船の位置関係がよりわかりやすくなっています。
七重浜の慰霊碑は乗客などの犠牲者の慰霊碑となっていて、殉職された国鉄職員の方々は函館山のふもとにある「青函連絡船海難者慰霊碑」に第二次世界大戦時の空襲などによる犠牲者とともに合祀されています。
当館の本棚には、洞爺丸台風の関連書籍も揃っています。
興味のある方はぜひ。