この宿では朝食が出ました。どれも美味しい。
左奥のブリヌイというクレープのようなモノは、ジャムをつけて食べると美味しいです。
一番の目的のオーロラは見てしまったので、残りの2日間はムルマンスク市内の観光に当てたいと思います。
この時期のムルマンスクは日の出が11時過ぎ、日の入りが14時前なので昼間は3時間弱しかありません。
外の観光に動ける時間はあまりないのですが、体力的には余裕を持って動けそうです。
バスターミナルへ行くと、目当ての106番のバスやマルシュルートカ(ミニバス)がいっぱい停まっていたのですが、どうやら次はバスらしいということがわかりました。
車掌さんに「ファデーエフ・ルチェイ(Фадеев Ручей)まで」と言うと、31RUB(約53円)と書かれた端末を示してくれました。
ロシアではネイティブの様な発音でなく、カタカナ読みでも通じることが多いので助かります。
ムルマンスク市の南端になるファデーエフ・ルチェイには25分位で到着。
お目当ての塔はバスを降りるとすぐ前方に見えました。
塔はロータリーの真ん中にあるので、車の流れを見ながら横断します。
「北緯68度58分の塔」。NとOは何の略だろうね。
英語で北はNorth東はEast、ロシア語で北はСевер(セベル)東はВосток(ボストーク)なのでどれも当てはまらない……
ふだん旅の途中では、あまり自分が写った写真を撮らないのですが、北極圏に来た証は欲しくなったので珍しく自分撮り。
帰りは同じ106番のマルシュルートカで戻ります。
マルシュルートカは乗るときに運転手さんに行き先を言って料金を払います。
結構混んでましたが、途中で座れました。
今回は終点まで乗ったのですが、途中で降りるときはどうやって声かければいいんだろうね。
料金表を見ると、バスターミナルからファデーエフ・ルチェイの間は市内均一料金的な扱いになっているようですね。
まだ午後1時過ぎですが早くも夕暮れの雰囲気。
ここなら暗くなってからでも大丈夫。郷土博物館に来ました。
入場料150RUB(約250円)と写真撮影料50RUB(約85円)を支払い中へ。
展示品は幅広くそろっています。
ソ連製のラジオには、チューニングの表示にワルシャワ、ブカレスト、ヘルシンキなど地名が書かれているのがわかります。
バイクの様なスノーモービル。
1975年当時のレニングラード(今のサンクトペテルブルグ)からムルマンスク間の時刻表。今と所要時間が変わらないですね……
先住民族サーミ族のサーモン漁の様子。
第2次世界大戦の資料もあります。このコーナーは大きめです。
ムルマンスクの街が形成されたのが1916年で、そのわずか数十年後、第2次世界大戦にてナチスドイツ軍の空襲により街が焦土と化しているので、この時代はムルマンスクにとって最も重要な出来事だったのかもしれません。
北海道でエゾシカを見るくらいの感じで普通にヘラジカが道路を歩いてそう。
実際はわかりませんが。
説明はロシア語オンリーでしたが、楽しめました。
夕食は特に行きたいお店もなかったのと、一度宿に入って再び外出するのが面倒になったので、2日連続近所のスーパー「エヴロロス」の総菜。
元々日本でも地方のスーパーを見て回るのは好きだし、ロシアのスーパーもウォッカは小さなスーパーでも種類も多いし、乳製品のスペースは日本のスーパーより広く、牛乳などは日本のより美味しかったりといろいろな発見があって面白いですね。
今のところロシアビールで一番飲みやすい「ネフスコエ」。サンクトペテルブルグのビールだからかモスクワでは見かけないのです……出来ればお土産に1本買っていきたいところですが……