2024年4月1日。いよいよ島から出る日がやって来ました。
ちょっとした引越並みの荷物を持って、北大東郵便局へ。送料だけで余裕の1万円オーバー汗
可燃物やスプレー缶などゆうパックで送れないものは、一旦「だいとう」で那覇へ送ります。
こちらの送料は、160サイズで590円でした。
今回は111日間過ごした宿舎ともお別れ。
バイクを港湾事務所に持っていく前に、ちょっと海が見える道へ寄り道。
北大東最後のお昼は「レストランはまゆう」で、日替わりの煮込みハンバーグ定食でした。
北大東空港からRAC736便南大東行きに乗ります。
今回は南へ向かってあがって、これから降りる南大東空港の真上を通って、大きく旋回して南側から着陸しました。
日本で一番短い航空路線として有名だった、RACの北大東南大東線は、7月末での休止が決まっています。直行便のみになると、予約は取りやすくなるかもしれませんが、もう南大東島に来る機会はないかもですね。
4か月ぶりの沖縄本島。
那覇空港からは、ゆいレールで牧志へ移動。
この日の宿泊は崇元寺の隣にある「サンプラザホテル」。何年かぶりで2回目の宿泊です。
那覇には珍しく大浴場があるのと、楽天トラベルのクーポンを使って朝食付きで2,900円という安さだったので今回選んだのですが、部屋に入ると…
最上階の角部屋でこの広さ。フロントに他のお客さんがいたから何も言われなかっただけの、サイレントアップグレードの予感。
ただ、この日は仲間とセンベロからの、
スナック・たこ焼き屋・〆のラーメンと珍しく12時越えをしてしまったので、広い部屋の恩恵を感じる時間がなかったのが心残りです。朝食も結局食べずだったし。
翌日はレンタカーを借りて、名護まで高速を使ってさらに北上。
大宜味村の喜如嘉(きじょか)まで来ました。
喜如嘉と言えば芭蕉布で有名な集落ですが、今回の目的は4月だけの風景、アヤメ科のオクラレルカ畑を見ることでした。
オクラレルカは生け花用に栽培されているので、畑の向かいの無人販売所でも購入できます。
お昼は「国頭港食堂」に行ってみたのですが、いつ順番が回ってくるかわからないくらい混んでいたので、弁当屋さんでカレーを買って、
沖縄本島最北のファミマでコーヒーを買って、そのままファミマの駐車場で食べました。
国頭の道の駅で以前買い損ねた「安波給油所Tシャツ」を購入して、読谷村まで南下、「世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアム」を見学しました。
読谷村は、沖縄戦で米軍が最初に上陸した場所なので、戦争関連の展示も多いです。
ミュージアムで一通り予習をして座喜味城へ。
座喜味城の特徴として、石門のアーチの中央に「くさび石」を入れて補強する技術を取り入れているところがあります。
沖縄の世界遺産で座喜味城だけ来たことがなかったので、今回行けてよかった。
進入禁止の表示がうちなーぐち。
さっきのミュージアムで近くにザワワザワワの「さとうきび」の歌碑があると聞き、来てみました。碑には歌詞が書かれているのですが、色のせいか材質のせいかかなり読みづらいです。
サトウキビ用のハーベスターがあると、つい写真を撮ってしまいます。
キャビンの形状と色からして、鹿児島の松元機工製だと思います。自分が乗ってるマシンと同じ製作所の機械には、何か親近感がわきます。
沖縄戦での米軍の上陸後、住民による集団自決が起きた「チビチリガマ」。
「チビチリガマの集団自決」は知っていましたがこれまで場所は知らず、今回座喜味城のミュージアムで読谷村にあったことを知り、来てみました。
交通量もそこそこある道のすぐそばですが、道からちょっと下に降りてガマの前に来ると、明らかに空気が違います。以前地元の少年にガマが荒らされたというニュースを見ましたが、現地に来ると、この空気でよくそんなこと出来たなぁという感想しか思い浮かびません。
渡具知公園にある「米軍上陸の碑」をみて、今日の宿泊地へ。
夕食は那覇の友人から「コザに行ったらぜひ行ってみて」と言われた、コザゲート通りにある「カフェオーシャン」のヤキメシ。
レタスチャーハン大好きなので、美味しくいただきました。ビールとも合います。
コザゲート通りは昼もそうですが、夜に通ると異国感もマシマシになります。
友人からオーシャンのヤキメシは美味しいけどちょっと量が足りないと言われていた通り、しばらくすると小腹が空いたので、宿に戻って朝用にテイクアウトしたオーシャンの「クラブハウスサンド」をつまみに一杯。