気仙沼の宿は、街ではなく岩井崎という景勝地にある民宿に泊まりました。
民宿は海の近くでしたが、建物にダメージを受けたような印象はありませんでした。
国道45号線から民宿に着くまで、3階の高さまで津波をかぶった気仙沼向洋高校がポツンと震災当時のまま残っている以外はほぼ更地となっていたのですが、民宿のある付近は被害を受けなかったようです。
民宿のすぐそばに神社があるので、神社仏閣は災害が起きやすい場所をあらかじめ避けて建てられてるのかなと思ったり。
朝一は、リアスアーク美術館へ。
ここは通常の芸術作品も展示されているのですが、常設展示で東日本大震災時の写真と現場から収集された被災物を公開している場所なのです。
今回の震災をただ悲惨な出来事で片づけるのではなく、これまでの災害から学んでもっと被害を少なくすることは出来なかったかという、反省の視点にも立っているのが印象に残りました。
唐桑半島の先端にあるビジターセンターへ。
ここには30年位前に開設された津波体験館も併設されていて、東日本大震災を機に内容がリニューアルされたシアターでは、津波の映像と共にイスが揺れる仕組みになっていて、わかっててもちょっとビビる。
きっと実際はこんなものではなかったはずですが。
陸前高田の奇跡の一本松。
国道沿いに物産館があり、そこに車を置いて少し歩いて行きます。
陸前高田では住宅地を高台に作るために山を削って、そこから出た土砂を海沿いの土地のかさ上げに使う工事が行われています。
この方法は山を削ってポートアイランドなどを作った昔の神戸方式を思い出します。
「希望のかけ橋」と名付けられたベルトコンベアがガチャガチャ音を立てて動いている姿を見ると、やっぱり少しづつだけど復興は進んでいる感じがします。
今の一本松は保存のためサイボーグ化されたモノと分かっていても、まわりの風景は現実のモノ。
街1つ丸ごと消滅させる津波に改めて脅威を感じます。
物産館以外ほぼ何もない国道沿いで1件だけオカモトのセルフスタンドが営業中。
というか、あの看板の上まで津波が来たのか……
この日は小雪が舞うくらい寒かったのですが、道の駅で他ではあまり見かけない柿ソフトを購入。
食べる前は柿とソフトクリームは合わんだろ……と思っていたのですが、ちょっと柿の食感も残って意外とウマい(笑)。
この日は鉄の歴史館を見てそのまま釜石泊まり。
リアスアーク美術館と鉄の歴史館でかなり時間をとったので、予定ほどはまわれなかったけどそれは仕方ないね。
翌朝ホテルの部屋から。
いい眺めだ(笑)。
大槌町役場跡。
将来的な保存のための囲いだろうか。
震災前は高さ10mのスーパー防波堤に守られているはずだった田老の街も震災後に建ったいくつかの建物と、津波でも残ったごく少数の建物以外は更地のまま。
2年前は防波堤の上に立って田老の街を眺められたけど、今回は復興工事車両が走っていたので防波堤には近寄れず。
海沿いを走ってると何度も見かけるこの看板。
海沿いの低い場所はもれなく津波の被害があったことを感じさせられます。
田野畑村の国道沿いの食堂で日替わり海鮮丼のお昼。
これで980円はお得感があります。
今回で旅行記は終わろうかと思ったけど、長くなりすぎてもアレなのでもう1回だけ続きます……