5時頃「フェリーとしま2」が宝島を出たとの有線放送で起こされました。トカラでは船がライフラインのほぼ全てなので、日々の生活も船に合わせていくのですね。
小宝島も出たとの放送を聞きつつ、6時から朝食。
定刻より10分位遅れの7時15分頃、雨の中を「フェリーとしま2」が到着。毎日のように乗って降りてを繰り返していると、姿を見るだけで我が家のような安心感があります。
7時30分頃、悪石島を出港。
案内所で場所の指定を受けて、寝床のセッティング。ベッドごとにコンセントがあるのがいいですね。
一人のスペースは狭く見えますが、口之島を出た時点でも一つ飛ばしで埋まる程度の混み方だったので、快適に過ごせました。島民か仕事で来た業者さんがほとんどなので、船室も静かだし。
8時45分頃、3回目の平島に到着。
ロビー的な場所には図書コーナーがあります。船内で十島村誌読む人はおらんやろ…と思うのですが、村営の船だから置いてるのでしょうか。って、さっきまで読んでた鬼平犯科帳が、平島で入出港を見てた間に誰かに持っていかれてる~続き読みたかったのに笑
9時40分頃、定刻から30分くらい遅れで諏訪之瀬島入港。
諏訪之瀬島を出て中之島に向かう途中で、諏訪之瀬島御岳から出ている噴煙のちょうど下を通ります。
11時15分頃、定刻より45分遅れで中之島出港。つい昨日までいた島なのに、もう懐かしく感じます。
12時頃、トカラ列島最北の島口之島に到着しました。
リモコン操作してフェリーに機械を積んでる!カッコいい!
口之島出港後、フェリーとしまでの最後の食事は牛丼にしました。
口之島を出て2時間くらいで右に屋久島、
左に口永良部島が見えました。
さらに2時間後の16時頃、黄砂で霞む佐多岬が見えました。
開聞岳を見るのが楽しみだったのですが、霞んで見えません。
口之島までずっと遅れていたのですが、18時15分頃、ほぼ定刻に鹿児島港南ふ頭に到着。約11時間の船旅が終わりました。
フェリーのチケット売り場のコインロッカーに荷物を預け、天文館にある「鹿児島餃子の王将中町店」へ。
注文は、テーブルにある伝票に自分で記入して出すシステムです。
鹿児島の王将は、京都王将で働いていた、京セラ創業者の稲森和夫氏の親族が、暖簾分けを受けて設立された経緯があるので、京都セラミック川内工場寄贈の鏡が店内に置かれています。
鹿児島王将と京都王将は別の会社なので、よく見ると看板の色が違いますね。
鹿児島王将は天津飯が美味しいと聞いていて、一度来てみたかった念願がかないました。
餡に九州の甘口しょうゆを使っているので、合う合わないはあるかもしれませんが、自分は美味しくいただけました。
港へ荷物を取りに戻って、窓口で御船印を入手。
十島村の御船印は、本来鹿児島港の中川運輸のチケット販売窓口か、名瀬港佐大熊岸壁の里見海運産業の窓口で、チケットと同時に購入することになっていました。
ただ、十島村での御船印の販売は始まったばかりでそのあたりがよくわからず、名瀬ではホテルから近いという理由で、奄美ツーリストサービスという代理店でチケットを購入しました。
そこで御船印のことを聞くと「ここにはないけど船内で販売しているのでは」と言われ、船内の案内所では「ここには届いてない」と言われ、これはもしかしたら難易度高めのフェリーとしま2の御船印を手に入れられないかも…と、気が気でない状態で島めぐりをしていました。
通常、フェリーとしま2は週2便の運航で、本来入港日に窓口は開いていないのですが、この日はたまたま月数回ある臨時便の出る日で窓口が開いていたので、名瀬で買い損ねたと言って、悪石島~鹿児島のチケットを見せると、少しのやり取りがあって無事入手することが出来ました。
名瀬方面から来る場合は、奄美ツーリストサービスで購入したり、沖縄からのフェリーを21時頃に降りてそのまま乗り継ぐと、名瀬側では御船印を入手できないので気を付けてください。
この日は桜島桟橋近くの「イルカゲストハウス」に宿泊。
宿の隣にある「かごっま温泉」で生き返りました。