朝食は、ビジホのバイキング。コンパクトですが、食べたいモノが一通りあっておいしい。
掛川~清水は高速でワープ。
国鉄清水港線清水港駅跡にある「エスパルスドリームプラザ」の駐車場に車を停めます。
エスパルスドリームプラザの近くの「波止場フェルケール美術館」から、「しずてつジャストライン」に乗って「折戸」で下車。
このあたりが、国鉄清水港線の折戸駅跡のはずですが…昔はあったはずの看板が撤去されて、ぱっと見でわかるようなモノは残っていませんでした。
折戸駅跡から太平洋側に出て、松林の中をしばらく歩くと、
広い海岸に出ました。
このあたりは太い松の木が多いです。
なかでも一番存在感のあったのは有名な「羽衣の松」。この木は平成25年からの3代目らしいですが、樹齢は何年くらいなんでしょうね。
羽衣の松の駐車場から御穂神社までの参道は「神の道」と名前がついていました。
真ん中を歩くのは恐れ多い感じがしますね。
5,6分で御穂神社に着いて、参拝。
御穂神社から10数分歩くと、国鉄清水港線の三保駅跡に到着。
構内の移動機関車と、この近くに今もある日本軽金属清水工場で生産されたアルミナ(酸化アルミニウム)を、同じ県内の蒲原工場や新潟工場まで運んでいたタンク車が展示されています。アルミナを運んでいたタンク車は、もうここにしか残っていないらしいですね。
ホームの跡も残っていました。
ホーム跡の隣にあった津波避難タワーから、富士山がよく見えました。
また太平洋側に戻って、富士山を見ながら歩きます。
三保駅跡から30分くらい歩いて、清水灯台に到着。
明治45年初点灯の歴史のある灯台ですが、思ったより小さい灯台です。
先の風見鶏が羽衣の天女になっているのが面白いですね。
三保桟橋に向かって歩くと掩体壕がありました。中は車庫に使われていました。
清水エスパルスの練習場の横を通って、
ヨットハーバーの横にも掩体壕が。
戦争末期、三保にはモーターボート型特攻艇「震洋」が配備され、震洋を守るための掩体壕が三保の何ヶ所かに造られたらしいです。清水灯台の横に、清水海軍航空隊の「甲飛予科練之像」が設置されていました。
掩体壕から海岸に出て、しばらく歩くと「もしかしてあれが三保桟橋の乗り場…?」
砂浜から細い桟橋が伸びているだけの、チケット売り場もないものすごく頼りない乗り場ですが、
定刻通りに船が来ました。
新興津ふ頭のキリンっぽいガントリークレーンの向こうに、富士山が見えました。
「エスパルスドリームプラザ」のある「日の出ふ頭」に戻ってきました。
約15分で400円のクルーズでした。
ここでも御船印。
お昼は「エスパルスドリームプラザ」のフードコート的な場所で、天丼とミニうどん。
ここからは伊豆半島に渡ろうと、すぐそばにある駿河湾フェリー乗り場に来てみましたが……
まさかの欠航。駿河湾内でもうねりが高くて欠航とかあるんですね。風向きが悪かったのかも。そのうちまた来ましょう。
この日は沼津に宿を取っていたので、行程的には支障ありません。
とりあえず薩埵峠へ。駐車場から展望台への道は通行禁止になっていましたが、駐車場からでも十分いい眺め。
沼津までにどこかいい寄り道スポットないかな~と探して、ふじのくに田子の浦みなと公園へ。
とりあえず展望台があるので行ってみます。
田子の浦港と富士山。富士山はどこから見てもどんな組み合わせでも存在感があって、絵になりますね。
公園の中に船の形をした施設が。
幕末に、このあたりで遭難したロシアの軍艦「ディアナ号」の乗組員を漁民が救助したことにちなんで、造られたらしいです。ディアナ号は遭難前に函館にも来てたのですね。
どうでもいいけど、標識が槍を持って走ってる人にしか見えない。
沼津市内に入って「若山牧水記念館」へ。
牧水といえば、正直この歌しか知りませんが、これまでの自分の生き方にハマるというか。印象に残る歌です。
全国を旅してまわっていたので、思ったよりいろいろな場所に歌碑がありますね。上の歌が詠まれた岡山広島の県境二本松峠にある碑は、いつか見に行きたいと思っています。
牧水が酒好きというのは知っていたので、イメージ的にフラフラ放浪しながら歌を詠んでいたのかと思っていましたが、実は沼津に新築した家の費用を出すために各地で歌を詠んでいた、ほぼ仕事というか義務感に追われてのようなモノだった、と知りました。
アンケート用紙を書く机は、牧水が実際に使っていた机だそうです。
記念館近くの海岸にも歌碑がありました。
この日の宿泊は「沼津リバーサイドホテル」。
遠くに富士山が見えます。反対側の部屋は狩野川のリバーサイドらしく、そちらも眺めがよさそうです。
下を見ると、味があるフォントが印象的な呉服屋さん。
夕食は近所のスーパー「マミー御園店」で買ってきた総菜。旅も3週間にもなると、たまにはこんな食事の日もあります……