今日の散策はJR宝塚線の生瀬駅から開始。
以前、生瀬から武田尾まで旧福知山線跡のハイキングコースを歩きましたが、今回は宝塚方面に戻るように歩いていきます。
ウィルキンソン炭酸の工場跡にある、ウヰルキンソン記念館に来ましたが、無慈悲にも休館。休館日は土日だけのはずですが、何か事情があったのかもしれません。
記念館のすぐ前にある、武庫川を渡る生瀬水道橋ですが、狭いですね!
人一人分の幅しかありません。一応橋の上ですれ違いは出来るらしいですが、コツがいるらしいです。
少し上流には車も通れる橋がありますが、この橋のほうが歩いて宝塚駅方面に行くのに便利だそうです。
橋を渡っても渡らなくても宝塚駅方面に行けるのですが、橋を渡らず右岸側の県道から行くことにしました。歩道がない道を歩いていると滝がありました。
この「丁字が滝」は、明治時代は観光地だったようです。今は特に案内もなく横を車が通り過ぎるだけの場所になっていました。
「黄金家」で炭酸せんべいを購入。
黄金家の向かいには、ウィルキンソン炭酸しか置いてない自販機が。ラッキーガラナだけの自販機を思い出します。
阪急宝塚駅から宝塚大劇場間の道「花の道」を歩いていきます。桜には遅かったですね。
宝塚大劇場の隣には手塚治虫記念館もあるので、いろいろなキャラクターの画が道に埋め込まれています。
フォルクスワーゲン宝塚に展示されている、阪急電車カラーのビートルは、お店が定休日のため外からチラ見するだけ。
お昼はココイチのカレー。ココイチは今年の2月に函館から撤退して(させられて?)しまったので、これからはあまり食べる機会もなさそうです。
以前の宝塚音楽学校は、今は「宝塚文化創造館」という、宝塚歌劇の歴史ミュージアム的な施設になっています。宝塚に歌劇の劇場を作ることになった経緯の映像や、大正時代の宝塚歌劇の初期からこれまでに行われた全ての公演のポスターの画像は、いつまでも見ていられます。
この建物の右側一帯は、昔「宝塚ファミリーランド」という遊園地でしたが、今は面影もありません。
「宝塚市立手塚治虫記念館」へ。
今あるマンガの手法やジャンルは、ほぼ手塚治虫が作ったとかどこかで見たような記憶があります。手塚治虫の作品はとにかく幅が広く、どれも今見ても面白いというレジェンドという言葉では安っぽく聞こえるくらいの偉人だと思います。3階には手塚作品のライブラリーもあるので、ここなら1日居られるかもしれません。
せっかくなので、宝塚大劇場にも入ってみます。ショップのあるフロアは、公演がある時のみの営業ですが、チケットがなくても入れます。郵便局があったので、記念に小型印を押印してもらいました。
劇場の2階と3階は「宝塚歌劇の殿堂」という、歌劇団の団員にスポットを当てた記念館になっていて、見覚えのある女優さんの名前なども多く、楽しめました。
宝塚歌劇の殿堂を見終わると、ちょうど公演の終わりと重なったのですが、女性の連れ以外に男性は見かけませんでした。お土産屋さんが劇混み状態だったので、先に行っておけばよかった。
阪急沿線で育ったので、宝塚歌劇には馴染みがあったほうだと思いますが、それでもタカラヅカは独特な世界を持っていると思います。
今の宝塚音楽学校の横を通って、武庫川を渡って宝塚南口駅方面へ。
たからづか牛乳の直売店でソフトクリームを購入。
店内は歌劇帰りの人でいっぱいだったので、宝塚南口駅前のベンチで食べました。
阪急今津線で仁川へ移動して、仁川沿いを山側へ向かうと、ちょうど住宅と山の境目に「仁川百合野町地区地すべり資料館」があります。
もともとこの建物は、阪神淡路大震災による大規模な地滑り現場の、対策工事後の斜面の動向を観測するセンターとして建てられたものですが、地盤がある程度安定した後、資料館として開放されました。
地滑り対策についてのジオラマや、対策工事についての映像などを見た後に現場へ。
34人の死者を出した地滑り現場は、公園になっています。
資料館にも、公園の中にも地滑り対策工事についての説明が書かれています。
公園から上ヶ原浄水場の横と関西学院大学のキャンパスを通って、山を下ったところの「山陽新幹線記念公園」へ。
六甲トンネルを出入りする新幹線を眺めて、甲東園から西宮北口へ。
西宮北口駅前の「阪急西宮ガーデンズ」へ。ここは、阪急ブレーブスの本拠地だった「西宮球場」の跡に建てられたショッピングセンターです。
ショッピングセンターの中は、西宮球場のホームベースがあった場所にモニュメントがあったり、西宮球場や阪急電車のミニ資料館があったりで面白い場所ですが、ちょっと時間が押していたので、外にある昔西宮北口駅にあった平面交差の線路(ダイヤモンドクロス)のモニュメントだけ見て帰りました。