日本縦断2015その12 東松島~女川~気仙沼 少しづつ前進


この日泊まった東松島市は沿岸部が津波の被害を受け、仙石線の野蒜駅と隣の東名駅は山側に移転されて営業が再開されるそうです。
野蒜の駅ナカではコンビニが営業していましたが、駅はこのまま保存するのか解体されるのか……

石巻は前回見たので今回はスルーして女川町に入ります。

まずは蒲鉾の高政で早速笹かまぼこセットを購入。
宿でのツマミにちょうどいいかと思って( ̄▽ ̄)
後に行く先々で土産を買いまくることになるとはこの時は思っていなかった……

水曜どうでしょうの藤村D嬉野Dのコンビも来たようで、高政のHPからHTBサイトのレポートのリンクが張られていました。

お昼を女川の仮設商店街で食べた後、街からは40分位離れている場所にある女川原発のPRセンターへ。

東日本大震災以来何かと風当たりの強い原子力発電所ですが(沿道にも原発イラネ的な看板が大量にありました)、ここは今回の地震のレベルは設計の想定内に入っていたので、特に被害はありませんでした。

今回の震災によって東京電力との設計の思想の差が取り返しがつかないくらい出てしまった……
以前にも言ったかもしれませんが、福島の現状は原子力エネルギーの取扱いを軽視してしまった東京電力による人災だと思っています。

ただ、特に石油資源をあまり持たない国には、原子力エネルギーの活用も選択肢の一つだと思っています。
元エンジニアの端くれとして、今の原子力エネルギー=絶対悪みたいな風潮に違和感を感じるだけなのです。

といって、別に何が何でも原発推進というわけでもなく、原子力エネルギーのリスクを理解して万が一、億が一のリスクまで考えて設計してそれでも採算が取れるならしてみればいいし、採算が取れなさそうなら固執しないで別の方法を考えたほうがイイんじゃない?というふわふわしたスタンスなのですが。

この日は女川駅に新しくopenした温泉に入ってそのまま女川町内の宿に宿泊。
夕食のホヤがビックリするくらい美味かった(笑)。

翌日。
神割崎を見た後、南三陸町へ。
更地の中に防災総合庁舎のみが残る。

仮設商店街で買い物。
これは書こうかどうしようか少し迷ったのですが、今回の三陸沿岸北上は旅行先として数多ある中の一つとして考えていたのですが、率直に言うと復興工事の車両が絶え間なく走り、海辺のかつて集落や街があった場所の何もない更地の中を走っていると、被災地を応援みたいな大義名分を自分の中で作らないと、なかなか旅気分にはなりづらかったです。
カーナビにはいろいろな店や銀行などのランドマークが出るのに現実は見渡す限りの更地とか……

行く先々でお土産を買うのは、自分の中での罪滅ぼしの部分もあったりしたのかなとか思ったり……
僕の出身地の神戸は、ちょうど20年前に阪神淡路大震災で大きな被害を受けましたが、今神戸や淡路島を旅する人で被災地を応援する感覚で観光する人は少ないのではと考えます。
一刻も早く復興が完了して、被災地を旅するという感覚が早く取れるよう今後もささやかながら見て行きたいと思っています。

お昼は「南三陸キラキラ丼」。
南三陸町内各店様々なメニューで提供されているのですが、今回は「山内鮮魚店」へ。

食堂と鮮魚店が中で繫がっていて、
「こちらで刺身を買って食堂で食べてもいいですよ」
と言われたので、志津川産タラの刺身を追加。

これはビールが欲しくなるなぁ(笑)。

気仙沼へ来ました。

いろいろな場所にある津波の高さ表示。
港あたりでは2階まで浸かったようです。
想像するだけで恐ろしい。

この日の宿に入るまでちょっと時間があったので、少し山側に入った「鹿折金山資料館」へ行ったのですが……

今日は休館日?orzとなっていたけどよく見ると中の電気が点いてたので戸を開けると開いた!
中で普通に資料を見ているとオジサンがやって来たのですが、かなりの話好きのようで……

自分は金山の4代目で父親が管理していた資料が多く残ってたので資料館を開いた……
ここ以外にも何ヶ所か掘ってたけど資料はここしか残っていない……
ここは金の含有量が多く、中でもモンスターゴールドという2.25kgの重量で1.875kgの金が含まれていた鉱石は昭和12年のセントルイス万博にも出展された……
その後モンスターゴールドは6分割されたが、その一つがつくば市に保管されていて、あとの5つは行方知れず……
気仙沼鹿折金山資料館
隣に飾ってる大きな岩塩は愛知万博で展示されていて引き取り手がなかったものを貰って来た……等々延々と話は続く……

金山で結構な時間を過ごしたのち、鹿折唐桑駅前へ。
ここは第18共徳丸が津波によって運ばれた場所で2年前は駅前に大きな船体があったのですが(写真中央付近)、その後市民アンケートの結果7割が撤去を望んだということでもう跡形もありません。
個人的には津波被害の象徴として残して欲しかったのですが仕方ないですね。

1日のシメに安波山へ上って気仙沼の街を眺めます。
2年前より更地が見えにくくなって、少しづつだけど確実に復興は進んでいる印象を受けました。